人付き合いのお話
子どもが小さい頃に仲良くしてた人がいて、子どもが大きくなって付き合いはなくなったけどご近所のため縁は切れてないので、挨拶する程度の仲。
知人になったので手をふるというよりはもう会釈するがしっくりくるんだけど、むこうは手をふってくれる。
もう仲良くする気がないなら会釈でいいのでは?と思っちゃうんだけどそれは私の中の気持ちで、お相手は仲良かった人は手をふるんじゃん?
前みたいに手をふってくれるといまだに親しいと勘違いしちゃう。←これも私の思い込みだよ私。
でも親しげなわりに、足を止めて雑談したりはしないの。かなしいんだなあ。私はすねているんだな。ちょっと寂しい気持ちをちゃんとキャッチ。
でもじゃあなんか話したいことある?っていうと別にないんだよね。なんか寂しいだけ。自分が断捨離された気持ちになっている。←これも思い込みで、べつに無視されてるわけじゃないじゃん。心の距離は感じるけどこれも究極思い込み。
こんな文書いちゃうくらいに心がうまくコントロールできなくなるんだし、自分のためにももっと無心になったほうがよい。相手の自分への気持ちを想像とか本当に無意味だから。昔の会話思い出してもしょうがないよ。今を生きているんだから。
こんな文書いてるのは生理前の躁気味なところもある。気持ちコントロールできない。切り替えに時間がかかる。
こういうときはハーブティー飲んで自律神経整えて、あと命の母飲んで、そしてラベンダーオイルたいてツイッターを閉じろ。
そうして手帳開いて余計なところに行っちゃう心を今ここに戻そう。
書いて整理できたスッキリ。
この量をアナログで書くのだるいので。
あとあがいてる姿をネットの海に放流したくて。
知人にはみられたくないけど他人に見てほしい気持ち。私も他人のがんばってる姿一歩進んでる姿読むの大好きなので。