くつしたの部屋へようこそ

三歩進んで二歩下がります

いろいろ

恥という言葉についてとか自分の中の恥という感覚とそれに影響される心理を自覚したい。

『恥(シェイム)…生きづらさの根っこにあるもの』この本読んだらわかりそう。

 

こないだ所用でとても大きな家に行ったんだけど、断捨離なんて言葉が無縁だなあとか思った。空間があるってスッキリするけど、所有っていいよなあっておもったりもする。敷地がでかいと両方できる。蔵ほしいわ〜。

 

二代目は親の苦労を間近で見てるけど、三代目は財を溶かすってなんかでちら見して。ああーってなった。一代目二代目の行動力みならいたいけど身近になんでもこなしてくれる人いると自分で動かなくていいやーってなっちゃう感じが。働き者見習いたいんだけど。まあいいやーってなっちゃう自分。恥。でた、恥。自分期待する自分にぜんぜん到達できずに恥じる。自暴自棄になる。

話がそれた。

働き者。自分がなるにはどうしたら。あ、ここで出るワード責任感。

言葉が言葉だけでなく実行力のある言葉にするためにも、日々実行してる。みたいなことを父から聞いて。父の哲学聞けたの良かった。へー!

 

父が働き者。祖母もそうだった。

そんな父の前で欲しい物とかやりたいこと、とか言うと叶うんだよね。だからうかつに軽い気持ちでこれほしいとか言えないのよね。そのわりに欲しいなと思うもの言ってももらえないとなんでだよ!ってなったりもして。手に入るのラッキーって気持ちと、自分の力じゃないのに叶うの怖くて、このまま自立できないんじゃないかっていう恐怖があった(といまなら言葉に書き記せる)。ほかにもいろいろかさなって一人暮らし決めて出てったのえらいな。(←十年以上前のこと書いてる。)

 

いま自分がやるしかないんだよー。手伝ってっていうのはいいんだけど丸投げにならないようにとか。ヘルプのバランスで悩ましいとこあるんだな。そもそもこっちが助けるべきなのでは?とかとか。

 

こんなこと書いてるけど、こういうの公開することに疑問を持っちゃうところある。内面書くの匿名だからいいやと思って書いてるけど。匿名の無責任さがなあーとかとか。(いや、公開して良い内容かとか法に触れてないかとか気にして書いてるので無責任に書いているわけではないんだけど。)昔は友達に聞いて聞いて!って感じでかいてたけど、今は数年後の自分に向けてって感じで。あー、なんかここらへんを整えたいのかな。

 

あとTwitterとの付き合い方 本当にもう、ここ数年ずっと悩んでいる。インターネットの付き合い方に悩んでいる。

オードリータンさんの『自由への手紙』読んでるんだけど、インターネット出始めの、インターネットというものが開かれたことそのものが、人類すごい〜〜〜!!!って気持ちになったのとか思い出した。オープンソースのコミュニティの恩恵とか参加者の人々への尊敬の念とかとか。

そういう気持ちでインターネットに触れたいんだけど。

現政権への怒りみたいなのにすぐ繋がっちゃって。前は自分で言語化できなかったり、未知のものに連れて行ってもらうためにアクセスしてたのが、いつのまに流されて拡声器にしちゃいそうになったり、それにとらわれてたり。

 

でも悪いことばかりじゃないんだよなあー。

友達の近況知りたいし、という気持ちと知りたいか?という気持ちもある。自分はあんまり言わない。(わかんないけどここもたぶん恥のなにかが影響している気がする。はよ本読みたい。)ううーん、バランス。

 

久しぶりにネット外からの情報(人づて、テレビ、地域広報誌)キャッチしたらなんか新鮮だった。バランス。

 

なとなどを考えるきっかけがいろいろあったので書いた。ぜんぜん違う場所でゆっくりいろいろ考えたい〜。そろそろ旅したいよお〜〜〜。

 

 

あ、あと実家から時を越えたいただきものするんだけど、こないだ30年前くらいに作られた未使用の子供服もらったの(よくあったよね、そのようなものが)。たぶんノーブランドのものだけど布の量が違うし裏地ついてるし。物質的に豊かだったな30年前……と思った。最近バブル期が舞台の漫画を読み返してて、子どもの頃のなんか懐かしい感覚を味わってたところに、時を越えて物体が手元にきたので、おおってなった。断捨離したくねえなあ(でもほんとに不要なものは手放せな)。蔵ほしいなあ。狭いのでするしかありません。家も昔は一軒だったところに2軒とかアパートになってとか、よくみるかけるんだよなあ〜。また30年後くらいどうなっているんだろうねえ〜。

情報が積み重なる問題への自分の意見

森さんの発言全文読んで、なるほど本人が言ったわけじゃないのか辞任するほどじゃないなーと言っているフォロワーさんいた!年単位でそういう人たちひっそりとミュートしたりブロ解してたのに、まだいたか!!笑  安寧のタイムラインに乱れが 笑

 

「女性が多い理事会は時間がかかる」、本人の発言じゃないけど、そういうのファシリテーションするのが長の仕事じゃーん。それをこんな話がありました☺️まあうちにいる人はわきまえてますけど☺️☺️☺️という発信を公でする感覚が、もう、もう。

そういう感覚じゃない政治家さん増えるように投票行くしかないなーっていう。

(フォロワーさんに説明する権利も義務も義理もないので、でも心乱れたので、落ち着くために思っていることを文字化しておきたく、ここに。)

 

大坂なおみさんが「少し無知だと思う」みたいに言ってたの、ほんそれ。

この問題に無知なままで生きられてある意味羨ましい。さらされたことないんだろうなあ。学ぶ機会がなかったのは残念ですね。親戚のおっさんがこういう感覚ならば、仲良かったら言うし、利害関係なしなら放置だけど。オンリピックの長でじょー。あと政治と深く関わる人でしょー。そういう立場の人がこういう感覚なのはNOって言わなきゃなーと。内心はどう思っててもいいけど、発信したりふるまっちゃったりはもうメッセージであり、それをこの立場の人が行うのはNOなんだよー。繰り返し書いちゃってるよ〜大事なんだもん。

 

本人が問題の本質を理解してるかとかは知る由もないけれど、辞任ということになった。この事実でこの問題の本質を説明してる人たくさんいるし興味ある人はきっとより知っていくだろうから。いままでみたいに発言撤回しますこの話終わり!ってならないで、また一歩進んだな日本。諸外国からの視線とかもあいまって。

 

ジェンダーギャップ指数減るといいですね。

 

でもさっきもちりと書いたけど、親戚のおっさんだったらっていう視点も持っちゃってて、辞任会見の挨拶とか見てると悲しい気持ちになっちゃう。がんばってたのも事実だろうから、自分がここまでやってきたのにあとちょっとってところで降りざるを得ないのは無念だろうなあ。

でもでもあの感覚で政にたずさわるのはやっぱり勘弁だし、そういうセンスのない人がおさやってるのがオッケーと思っている国民じゃないです。

人付き合いのお話

子どもが小さい頃に仲良くしてた人がいて、子どもが大きくなって付き合いはなくなったけどご近所のため縁は切れてないので、挨拶する程度の仲。

知人になったので手をふるというよりはもう会釈するがしっくりくるんだけど、むこうは手をふってくれる。

もう仲良くする気がないなら会釈でいいのでは?と思っちゃうんだけどそれは私の中の気持ちで、お相手は仲良かった人は手をふるんじゃん?

前みたいに手をふってくれるといまだに親しいと勘違いしちゃう。←これも私の思い込みだよ私。

でも親しげなわりに、足を止めて雑談したりはしないの。かなしいんだなあ。私はすねているんだな。ちょっと寂しい気持ちをちゃんとキャッチ。

 

でもじゃあなんか話したいことある?っていうと別にないんだよね。なんか寂しいだけ。自分が断捨離された気持ちになっている。←これも思い込みで、べつに無視されてるわけじゃないじゃん。心の距離は感じるけどこれも究極思い込み。

 

こんな文書いちゃうくらいに心がうまくコントロールできなくなるんだし、自分のためにももっと無心になったほうがよい。相手の自分への気持ちを想像とか本当に無意味だから。昔の会話思い出してもしょうがないよ。今を生きているんだから。

 

こんな文書いてるのは生理前の躁気味なところもある。気持ちコントロールできない。切り替えに時間がかかる。

こういうときはハーブティー飲んで自律神経整えて、あと命の母飲んで、そしてラベンダーオイルたいてツイッターを閉じろ。

そうして手帳開いて余計なところに行っちゃう心を今ここに戻そう。

 

書いて整理できたスッキリ。

この量をアナログで書くのだるいので。

あとあがいてる姿をネットの海に放流したくて。

知人にはみられたくないけど他人に見てほしい気持ち。私も他人のがんばってる姿一歩進んでる姿読むの大好きなので。

ドラクエが好きだった

ドラクエが好きだった。

ナンバリングは10以外はプレイ済。

モンスターズとかウォークは、ちょっと触ったけど私には楽しくなくてすぐやめた。

 

ドラクエの8が出たとき、ドラクエの世界観はこんな感じだったのか!と感動した。船が使えるようになるところとか、月の人のところとか。でも監獄島みたいなところの牢屋のシーンとかククールの幼少時とかは怖くてこわくて。貧富の差とかも街の様子がリアルで……デフォルメされたから楽しめてた部分あったなと思った。

11も広い世界で好き。歴代のドラクエネタたくさん入ってて、ドラクエ好きには楽しくできた。1につながるストーリーで、ドラクエこれが最後なのかなあとかも思った。

 

もうだいぶ前に伊藤詩織さんのblackbox読んだ。

片一方のお話だけでは……と思ってHANADAも読んだ。

この一件だけじゃなくて、社会のシステムに一石を投じている話で、伊藤さんの本読んでよかったなと思っている。そして応援している。

(HANADAの方も読んで思ったことは、お二人の間に起こったことに口出す気も権利もないけれど、私は社会システムや空気に対して感じていた疑問と改善していきたい思いがあるんだなって。その改善のための行動のひとつが伊藤さんを応援すること。)

 

そこからそう言う話題は耳に入ってくるようにしている。ツイッターとか、はてブでも関連話題っぽいのは目につく。

 

杉田水脈さんとすぎやまこういちさんの会話を見かけて、制作者の思想とゲームは切り離して考えようとは思うけどちらつくけどあんまり考えないようにしよう。でも11やるたびちらつく〜〜〜っというかんじで。

 

で、ユアストーリーはたぶん私見たらいろいろ混乱しそうとおもって見てない。(リュカ名前問題もたまに追ってます)(ついでにドラ(えもん)泣きも恐竜も見てない、評判だけは見てる。)

 

そしてこないだ淡路島にドラクエのコーナー(?)ができるという話で。

メインビジュアルみても、モンスター多めだしこれ目的で淡路島には行かないかなあ、観光ついでに行くかもしれないなあとぼんやり思った。この時点で私はど真ん中の顧客ではない。

そんなおりに、パソナと淡路島のエントリーを読んで。(公園にニジゲンノモリができたと言う話)

あれ、淡路島?パソナ?そのワード + ドラクエで検索かけちゃって。っていうかサジェストされたかも。ちらっとみてそっと閉じた。

 

ドラクエゲーム好きだった。

あとドラクエ4コマ漫画すごい好きだった。

楽しかった。過去形。

 

ドラクエかFFか!?みたいな時代もあったと記憶している。でももともと別物で、並べて語るものではないなあと今の双方をみて思う。←あれ、結局比べてるじゃん!

 

今私はもうずっとスプラトゥーンやっているけれど。スプラはじめゲームアカウント界隈で見てるゲームって当たり前に海外展開もされている。海外のゲームがやっと日本語でも配信とかよくある。 

ドラクエの海外での話聞かないなあ……と思ってググってみた。あとで読んでみよ。

 

ドラクエ11やってて「ん????」って感じることがある。「ん????」と「なういなあ〜〜〜」が共存していて不思議な気持ちになる。(余談だけど桃鉄でも「ん????」てなるところあった笑  コンテンツにふれててこの感覚久しぶり。そこは目をつぶってやるけど。やりたいので。)この「ん????」がないゲームもたっくさんある。ゲームも漫画も映画も。

 

昭和生まれだけれど令和に生きている人と、昭和の空気をそのまままとっている(ように私は感じる)人の違いってなんだろー。

 

現在のドラクエと私の心は残念ながら離れてしまって。ゲームやってて薄々思ってたんだけど、ゲームは情報量も多くてフォーミーなところももちろんたくさんあって、それで持ちこたえてたところもあったんだけど、映画やパークの話題で、ほんとにドラクエというIPの哲学がノットフォーミーなんだなと。さみしい。しょうがないけど。思い出とか、公式供給の好きなところだけちょっと美味しく頂いて、あとは深く考えない。3モヤしたので文章にしてモヤを言語化できて良かったです。

 

 

USJのマリオワールド楽しみ!!!!!!!

 

無題

アツギの話ふたたび。

昨日書いたみたいに、ど真ん中の客と信じて疑ってない私から見たの話。脳内まとめるために書いている。

 

アツギのお客さんをオンラインで呼び寄せるんだったらInstagramのほうが客層合ってたんじゃないかなあって思う。ツイッターだったらいわゆる美容系クラスタ

私だったらそういうアカウントからの紹介でリーチされたいな。

 

ツイッターって同じ性質の人たちが集まりやすい。

アツギ公式アカウントはフェチ的に愛でる層といままで楽しくツイッターで交流してたから、その線でいけると思って進めたのかなと推測。

その線のニーズというのも実際あるんだろうけれど、私みたい特段好きではいているわけではなく冠婚葬祭式典等で必要があるからはいているだけの層(加えて言うと販売経路がコンビニやドラッグストアと買いやすくて、値段も手頃ではき心地に不満がないのでリピーターになっているライトユーザー)もたっくさんいるんだよね。ここらへんの数字は他でもない販売している会社が握っていると思うのだけど。しらんけど。

 

私みたいな女の人が私のTLにたくさんいるので、似たような意見が多かった。

で、そういう人たちはアツギあれはないわ~だった。

でアツギもその意見が見えて謝罪。

 

って私からは見えるんだけど。

 

フェミニストが燃やした」に見えている人と見え方が違う。

さっきも書いたけど私から見たらストッキング・タイツをはく必要のある層があの広告表現のNOと言ったらアツギが謝罪した。なんだよね。

 

「このイラストのどこが問題だって?」ってマイルド表現の画像を添えてツイートとかミスリードを誘っているの見かけて。この話題はじめから追ってたのでソレじゃないよって思ってみてた。こういう手口の土俵に乗る必要もなくてねえ。ミスリード誘いだったら悪質だし、問題の捉え方がそれだったら解像度低くて話にならないなだし。

 

フェミニストがアツギのキャンペーンを潰した謝罪においやった」

これもそうみえるんだーって。ふしぎ。こういう意見の人は、謝れって言われたら自分が悪くなくても謝るのかな。悪いと思ったから謝っているんだろう。

謝る必要があったから謝っただけだろう。とりやめろっていう意見あったかな。強い拒否反応の言葉がそのようによめるというのはありえるかー。

 

女がものを主張することが気に食わない人たちがフェミニストが燃やしたっていうストーリーに見えちゃうんだなあって。

今回多くの女性が当事者なのに、怒っている人はフェミニストだけに見えているのかーいでもこれ自分も身に覚えがあって……。出産して自分の年齢重なっていき、自分が「娘」から「子持ちのおばさん」になって働いたり辞めたりして、初めていろーーーんな女性が見えたんだよね。いろんな生き方してる様々な年齢の女性たちが。はじめて!私も女なのにね。これわかったときの衝撃。

 

話逸れちゃった。

 

「なんで女の人がそこまで怒るかわからない」て意見。

まず怒っているっていうのも雑な把握だなって。怒ってる人もいるけど戸惑ってる人とかがっかりしてるとか残念だとかいろんな感情。そしてなんで怒っているかわからないwって人にはどれだけ説明しても納得しないんだよね。「俺は平気だけどな」で終わらせちゃうの。(わからないから知りたいっていう人は聞いてこないで自分で考えるんだよね。説明という相手の手数を求めない。自分で学んでくる。)

「当事者が当事者の感情を発信したら」「アツギは謝罪した」というだけなのに。当事者じゃない人が「俺は平気なのに」って言ってるのおかしくて。

タイツストッキング使用者であの表現がささった人もいるのも見たよ。少数いた。この事実も見えています。その人の意見おかしいと私は否定していない。

アツギがどこの層をピックアップするのかあるいは最大公約数をカバーするのかそこらへんはアツギしだいじゃん。何度も似たようなこと書いちゃうけど私は最大公約数にカバーされているユーザーだと自分で認識しているのでそうじゃなくなれば去るだけなんだ。

 

アツギと当事者の問題なのに、アツギと当事者の間に割って入ってくる不思議さ。

 

(ここからは炎上案件と自分の意見の持ち方出し方向き合い方の話かな)

いままでの「炎上」は的はずれな意見にいちいち反論したくてしょうがなかったんだけど。

そもそも相手のペースとか土俵に乗る必要ないっていうのがわかったらすごい楽になった。あとこうやって書いておくとそういう意見みても自分の中で答えが出ているのでお守りみたいな感じ。

私は私とアツギの問題としてこの問題を見ている。

 

アツギと女性全般の話っていう見え方もある。

この話はいままでの体験談からくる話だからわかんない人にはわかんない伝わらない。自分も10年くらいかけてやっとわかった。

どこからはなして解きほぐしたら?って感じだし。聞く準備できてないと入ってこないし。

今回の件であれ?もしかして??って聞く準備できた人たちはこれを起点にいろいろ理解できるのだろうなあと。そして過去を振り返り理解をしてこれから生きていく。

鬼滅のしのぶさんじゃないけど、「怒ることに疲れた代わりに怒ってくれる人がいると安心する嬉しい」みたいな気持ちがすごいわかる。

私はもう疲れているしいまいま嫌なことの渦中にない。でもこれから子どもがそれにまきこまれるかもしれないと思うと声をあげないわけにもいかず。

という感じのところ。

 

あとこちらのnoteを拝見しました!

本当に本当にアツギに電話したかは確認のしようがないけれど。

読めてよかったと思ったノートだった!

あのPRが公開に至るまでの空気感とか現状とか感じ取れた。

 

 

あとこのやりとり。これも聞けてよかった。

Q.公式Twitterに「クレーマーに負けるな」「謝る必要はない」と大変あたたかい応援コメントが多数寄せられているが?
A.そのまま受け止めることはない。

 

 昨日も書いたけど、あたたかい応援コメントを発信する層とタイツ・ストッキング使用者を近づけてしまったのは本当に罪深いと思うんだ。(逆にタイツの日のハッシュタグをタイツ屋さんがああやって使ったから、タグつけなかったタイツ愛好家の方々もいるのではないだろうかと予想。本当に隠れている人は本当に見えない。)このやりとりでまだまだこちらをお客さんとしてみてくれているようで良かったと思った。

この影響はかりしれないけどどうなっていくかわかんないけど。

なかったことにはならないけどこれを体験した私達はこの後どうなるのか。

他人事だから気楽に言うけど、ピンチはチャンスだなーって思う。

なんかいい感じになりますように。←この言葉はアツギだけじゃなくて広告表現とか女性の生きやすさとかひいてはみんなの生きやすさとかそういうの

 

何年か経った後に自分がこの記事を読み返したい。

アツギの件いろいろ思うこと書いた

ブランドコミュニケーションに興味があって
イラストには抵抗がなくて(おたくなので……)
現時点でアツギの商品には信頼をおいていてたまにはく程度のライトユーザーで
今後40代50代になっても冠婚葬祭ではく必要がある長期的なユーザーで
ツイッターの話題に興味があって
という感じの者から、書き留めておきたいので書いておく。
誰かに何かを伝えるつもりというよりは、いつか自分で振り返るために書いてる。

アツギのあのキャンペーン見て「どうしたのアツギ?私は客じゃなくなったのか?いや信じがたい。」と思った。
私は10代20代だったことがあってこれから50代60代と変化していくわけだけど、
私は変化してもアツギは変化した私の足元に変わらずに寄り添ってくれてると思ってたわけよ。
いままでもこれからも私はめっちゃど真ん中の客だと信じて疑ってなかったのよ。

だけどあのPRではなんか若い女性のイラストばかり目に入ったのね。まずこれで、あれ私いつのまにかアツギの想定するユーザー層からはみ出てた?と思った。
ファッション系のイラストは数点でフェチみを感じるイラストが多いな???アツギのアカウントがこれを???

すぐに削除された、「見てもいいよのテキストを添えられたスカートたくし上げるイラスト」は日常の消耗品を売る企業が公開するのは問答無用でアウトだけど、
公園でめっちゃ短いスカートの女子高校生が靴脱いで「つきあっちゃおうか」の投稿にえ????ってなった。
これは残してるんだって。これは問題ないと判断したのかと。(※あの時点で。今見たらそれも消えてる。)
強調したいのはイラスト批判ではないよーと。これ読み進めている人ならわかってくれると思うけど。
「あのイラストをブランドコミュニケーションとして広告でPRすること」が「どうしたアツギ?」と私は感じたっていう話を書き留める。

アツギは私にとっては現実なのね。オフラインの延長。
かつては私も女子高校生だったんだ。女子高校生も非現実じゃなくて現実。
これから知ってる子どもたちが数年後に高校生になるんだ。現実。
ブランコも私にとっては現実のロケーション。(お母さんもうブランコ押したくないよ早く帰りたいよって思うこと、よくあるんだ)

企業のPRだから現実オフラインの延長を期待していたのだけど
靴を脱いでブランコに乗ってる女子高校生っていう非現実が、現実のアカウントから企業広告として公開されていた。
ブランコで靴脱いだら危ないじゃん。ブランコで靴脱いでるっていうのは足の先を見せたいイラストだからじゃん。フェチ。
足先から広がる非現実。こんなに現実の題材なのにいろんなところが非現実。違和感すごい。
非現実のこれがアツギの客なの?この非現実を楽しむ人達がアツギの客なの?あれ私いつのまにアツギの想定するユーザー層からはみ出た?とまた思った。

他のイラストもそれはそれはフェチみ感じるイラストがあり。イラスト見るの好きだからその記号読みとけるよ知ってるよ。
フェティシズムを否定する気ない。 デニールをイラストにするその手腕には脱帽。っていうかイラスト別の場所で拝見したことあります。
でもそれはそれこれはこれじゃん。

自分はユーザーだと思ってたのにこっち向いてなさすごいな???って。

戸惑う声は私だけじゃなくて苦言を発信してる人もたくさんいて
結果アツギが謝罪してキャンペーン取りやめた

謝罪文を読んで、「だよねコミュニケーションなんか間違えちゃったよね私は顧客だったんだこれからもよろしく」となった。
仮にね、アツギから謝罪がなかったらそれはそれで「私は客でなくなった」というメッセージをうけとりたち去る。それだったらそれでいいの。いままでは客だったけどこれからは違うってあるものね。

この話はこれでおしまい!とならないっていうかなれないのは、さっきも書いたけどこれからも年単位でお世話になる予定だったのでどうしてもタイツとかストッキング選ぶシーンで今回やらかしたことちらつくのは事実。
ツイッターの一度のキャンペーンのやらかし < 今までの品質の信頼 ではあるけれど。

フェチ的に愛好している人と日常で使用している人のワープゾーン作ってしまったタイツ作るメーカーって罪デカすぎだなしかしそれはツイッターという土俵がそもそも相容れない者同士が目に入りやすい場なんだよなとか。
三次元のアツギのアイテム使用者には興味ないイラストにしか興味ないって言ってる人もいて、それならなおさらこっちくんなwwww
アツギに「フェミニストに屈せずにまたこのような素敵なイラスト公開してください」みたいなこと言ってる人も、いやアツギはイラスト応援アカウントじゃなくてタイツ作ってる会社だよって。

そうそう、
フェミニストがキャンペーン潰した」ていう文脈で「あの炎上」見てる人の意見って聞かなくていいんだなーって確信を得た。うすうすおもってたけど。やっと。ああいう人達ってその文脈から進む気のない人たちだってわかったので(何年もああいう話にそういう関わり方しかしてないアカウントとか、数年単位で目に入っている)わからない人に説明する必要なんてないんだなーって
自分のために言語化するそれで十分なんだなーって思ってこれ書いている。

宇崎ちゃんの献血は、私もとを知らないし献血はいままでもこれからもすることないので、あの件で思うことはあっても物申すことはなかったのね。
あとみかんとラブライブだっけ。あれもやっぱり思うことあるけど発信はなかった。
ずっと観察。
他にもなんかいろいろ細々とあるけど、自分と違う意見聞くのも大事だなと思って観察してたのね。
タイツの件で口出してきているイラストが好きな人達とかフェミニストが嫌いな人達って、理解がそんなもんなのにその線でアツギ応援しようとするのかって滑稽だった。わかんないのわかってないんだなあ。生理わかってない男性の生理の話も滑稽だったけど。
質問の皮をかぶった粘着の手法とか。教えてということ自体が図々しくて知りたいなら本読めですむんだなあ。
ここらへんはフェミニズム運動している人たちのおかげで理解できた。
違和感口に出すことができるようになったのも、おかげで。

あと、イラストレーターさんに誹謗中傷送ってる人も観測した。
インターネットの使い方の話になるけど「叩いていい」って判断を下すことじたいしちゃ駄目だな。
人んちのことは口出さないけどいつか家族がインターネット使うときにそういう使い方は絶対しないでくれっていうお話必要だな。

興味が複数にまたがって、書きたい気持ちも湧いて、時間もあったので書いた。
公開するけど読み返して予告なく加筆修正するかも~。

追記 イラスト魚拓リンク 見返すときになんの話してたかわかりやすい ins-magazine.net

ブログ書くということの頭の整理

なんでブログ書くか→
残したいから 読み返したいから

 

なんで公開なのか→
別人として読みたい
過去の自分と今の自分は別人

 

なんでブログか→
長文書きやすい
ツイッター見るの楽しいけど辛い
でもなんかどっかに書きたい
たぶんブログがちょうどいい

 

 

何を書くか→
ひとつの答えを書いておく
2回以上悩まなくてすむように
現時点で答え出ていることを文に残したい
→→さらなる疑問も出たら書く


書きたいこと→
生き方コンセプト
対人のコンセプト
体調→頭痛、生理、冷え胃痛
日々のニュースのこと