京アニの事件で思ったこと
京アニのニュースみて思ったこと。
私は時間に融通がきくので、気になることがあるといろいろ調べちゃうんだけど、初動の段階でたくさん情報仕入れたところで脳みそが疲弊するだけというのが、ここ数年でわかった。
初動はもう祈るしかなくて、私にできることは私の日常をすごすこと。
2019年5月におきたニュージーランドでのテロで、ニュージーランドの首相はテロ犯の名前も目的も報道しないという姿勢のニュースを見た。テロの思想を振りまかない、なるほど!と知った。そういう姿勢を知った。
私は絶歌とか読んだんだけど、犯人の心情を知ってもしょうがないんだと思った。
やまゆり事件でヘイトクライムという言葉を知った。
雑な理解だけど、こじらせると周りを巻き添えにしてしまうんだなと。
なんでもかんでも社会のせいにしちゃうけどさー、外からの防衛も大事だと思うけどさー、国内もなかなかいろいろありますよね……。
あ、で、初動で真実かどうかわかんない情報浴びてるんじゃなくて、ルポルタージュレベルになって読んではじめて頭の中で自分なりの事件への解釈ができる。
なので、事件への関心は持っているけれど、考えられるのもなにか支援できるのも1ヶ月以上経ってからなのだ、私は。
これまた話それるけど、災害ボランティアとかも初動で動ける人の支援をすることなら私にもできるけど、自分は被災地域で生き抜ける体力も知識も装備もないので、自分が災害ボランティアになったらお荷物になるの目に見えてる!日常にいるからこそできる支援もある。
むかしはいてもたってもいられなかったけど、自分の能力と物事のタイミングを知ったので、機がくるのを準備して待っている。