活きてる形見、役目を終えた形見
もう10年以上前に亡くなった友人。
形見分けをしたときに、ミシンをもらったんだけど、結局使いこなせなくて。フットコントローラーだけはミシンは残して、処分した。
他にも衣類とか本とかもらったけど、十数年で引っ越しを何度かして、その度形見は処分していった。
最近ちょくちょくミシンを使う。フットコントローラー使うたびに身近に感じる。いろいろ経て残った。
共通の友人は「あのころは…」とか、「生きていたら…」って言う。
私はもう済んでしまったことになっていて、でも私から見たら友人は現在進行系で。
おなじ出来事を経験しても、思い出や想いが違う。その違いを私はなかなか受け入れられなくて、友人と距離を置いている。
一緒に偲びたい気持ちもあるけど、前述の通りスタンス違うっぽいし(真実はわからない)、近づいたらまたいろいろ言いたくなっちゃうだろう。いまくらいがいいんだろうな。
私の問題なんだな。心の持ちよう考えよう。